異邦人
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Book Profile
Work
筆者: Albert Camus (アルベール・カミュ) (原著 “L'Étranger”;小説家・劇作家・哲学者)
発行日: 1942年
ページ数: 127ページ + 解説ページ
言語: フランス語、日本語訳
Genre
不条理小説
実存主義小説
実存主義とは、人間の実存を哲学の中心におく思想的立場
Time and Place
フランス領アルジェリア・アルジェ - ムルソーの住んでいる場所
マランゴ - ムルソーの母が過ごした養老院の場所
1830年から1962年まで北アフリカに位置するアルジェリア地域はフランスの支配下にあった
Subject Matter (内容)
登場人物:
- 主人公
- 感情をあまり表さない
- 母親の死に対しても、悲しむ様子はない
- マリイへの感情がない、しかし欲望はある
- 結婚したいかと聞かれるも、どちらでもいいと答える
- 大切に思っていない
- レエモンを追っていた、アラブ人グループの一人をピストルで撃ち、殺害した
レエモン・サンテス
- 同じ階に住んでいる隣人
- 女遊び・女への暴力がひどい
- 養ってあげていた女に裏切られた
- その女に暴力をしているところを連絡され、警察が家に来た
- それから、アラブ人のグループに付きまとわれるようになる
マソン
- レエモンの友人
- 浜にヴィラを持っている
- レエモン、ムルソー、マリイの3人で遊びに行った日に、事件が起きる
マダム・ムルソー
トマ・ペレーズ
- 養老院でマダム・ムルソーと仲の良い関係だった
- お通夜・埋葬にも参加した(埋葬には身内しか参加できない決まりがある)
マリイ・カルドナ
- ムルソーが前に働いていた事務所のタイピスト
- お通夜の翌日、ムルソーが海水浴しに行ったときに再開する
- ムルソーの彼女、または男女関係だけ
- ムルソーのことを愛している
- 結婚したいかとムルソーに聞いたところ、どちらでもいい、マリイがそうしたいのならする、と返された
サラマノ老人
- 同じ階に住んでいる隣人
- スパニエル犬を飼っている
- 気に食わないことをするたびに、暴力を振るう
- 犬が行方不明になる
- 頑張って探したが見つからず、孤独になってしまうと悲しみ、嘆く
- 失ってから大切だったんだと気付く
エマニュエル
- 友達?
- 数ヶ月前に、叔父を亡くした
- 映画を理解ができない
- 「スクリーンの上で何が起こっているのか、一向にわからない男だから、説明をしてやらねばならない。」
- 近所に住んでいる
マランゴの養老院の門衛
- 64歳
- パリっ子
- 困窮者として養老院に入ってきた
- ムルソーは、一人の在院者にほかならないなと思う
- 門衛の言い分を聞いて、門衛という立場から、ある程度まで彼は他の人たちの上にちからを及ぼすと考える
- しかし自身は、他の人は違うと理解している
- 「自分より年少の者も相当いるのだが、その在院者たちについて語るとき「あの連中」とか「他の連中」とか、もっとまれには「老人連」とかの言葉を使うのが、ひどく印象に残った。」
セレスト
- レストランのオーナー
あらすじ:
ムルソーが養老院から、母が亡くなったという連絡を受ける。お通夜、埋葬が行われた。お通夜の翌日、海水浴に行き、マリイと再開し、二人は男女関係へと発展する。しかし、マリイへも特別の感情は示さず、結婚についてもなにも感じない。隣人のレエモンから女に裏切られたというトラブルを聞く。そして、警察で証言をしたりと手助けをする。その後、レエモンの友人のマソンの家に遊びに行き、浜辺でレエモンを追っているアラビア人数人を見つける。そこで、ムルソーはアラビア人の一人を銃で4発撃ち、殺害した。ムルソーの判決を決める裁判では、エマニュエル以外の全ての登場人物が証言し、彼を不利にした。結果、公の場での斬首刑が下された。自分の死が近づくにつれ、新たに別の人生を歩んでいくように思われ、ママンが養老院で過ごした日々の感情が最終的に理解できるようになる。
注目すべき点:
母の死を悲しむシーンがない
生前から、母のことを大切に思ってはいなかった
(それに対し)サラマノ老人は犬に日ごろから暴力を振っていたが、愚痴るものの、これからは彼なしの生活だと孤独になってしまうと悲しむ
自分の死が近づくにつれ、考えをめぐらせ、感情を表すことから、人間は究極のシチュエーションに陥ると、本性が現れることが分かる。
表現方法、本の特徴
筆者が哲学者のため、文体が哲学的。そのため、理解するのが難しい
Resources
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%B0%E9%82%A6%E4%BA%BA_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)
Essay: 議論をして
宗教に基づいた法律と不条理文学についての知識を深め、『異邦人』での裁判の行われ方、ムルソーの視点から考える不条理な社会についてを学んだ。
1789年のフランス革命での人権宣言で、何人も宗教上の行為に強制参加されないという「信教の自由」を守るための手段として、国家と宗教を分ける「政教分離」が唱えられた。それまでのフランスでは、「国教制度」といい、カトリック教会が特権的地位に携えていたが、今では厳格な政教分離がされている。しかし、『異邦人』での裁判の判事がキリスト教の考えをムルソーに押し付けようとしている場面や、御用司祭というシステムが存在することから、慣習的にキリスト教の観念が残っていることがわかる。
作品を読む際、ムルソーの不合理な行動や言動に共感しがたく、理解が難しかったが、それは彼の考えを受け入れようとせず、自身の常識を押し付けようとする周囲の人間と同じ態度なのではないかという指摘が、このアクティビティーでされた。不条理文学では、不条理な状況に従わないといけないという要素が含まれており、ムルソーにとっては不条理な他人の常識やモラルを押し付けられている場面が作品中に多数ある。そのような不条理な人たちから作り上げられた法律というシステムの下、裁かれ、死刑と判決を下されたムルソーは、「いつのまに自分は殺されることになったのだろうか」、「そんなシステムをなぜ人間は作りたがるのか」と、周囲から導かれた自身の死に対して疑問視する「実存主義」を持ち合わせていることがわかる。作品では、主人公のムルソーの心情の描写が極端に少ないことから、読者に違和感を覚えさせ、読者もムルソーの周囲の人間と同じ視点から客観的にムルソーを見てしまうことがある。また淡々と情景が描写されており、展開が早いことから、ムルソーの無関心さが描かれている。
Essay: 作者の哲学思想が主人公を通して、どのように表現されているか
カミュ作『異邦人』では、主人公のムルソーの言動を通して、作者の哲学思想の一つ「不条理」が表現されている。多くの文学では、主人公に共感できるよう、主人公の考えを中心にストーリーが書かれている。しかし、『異邦人』では物事に対してムルソーの考えがほぼ示されていなく、ある質問について答えを求められても「面倒くさ」く思い、適当に答えるか、答えを拒んだ。恋人のマリイに「結婚したいか」、「愛しているか」と尋ねられたときも、「どっちでもいいことだが、マリイの方でそう望むのなら、結婚してもいい」(45ページ)と答えるなど、冷たい、無神経な態度が伺える。ムルソーの周りの裁判での人たちが考えるように、一般の人は「結婚と言うのは重要な問題だ」と考えるだろう、しかしムルソーは断固として「違う」と言い切っていることから、周囲との考え方に差異があり、他人から理解されにくい印象を与えている。このように、作品全体を通して、物事に関心がなく、読者に違和感を与えるような態度をとるムルソーが描写されている。そのため、『異邦人』では淡々と簡潔に物事が進んでいくという文の印象を与えている。
主人公が、不条理な状況に巻き込まれるストーリーの構成を含む作品を「不条理文学」という。『異邦人』では、主人公のムルソーにとっては周囲の意見は自分のとは異なり、周囲がムルソーを理解できないのと同様に、ムルソーも周囲の常識が理解できずに、裁判と言う周囲の考えからなりなったシステムの下で、自身の罪が裁かれるという状況に陥ってしまう。つまり、ムルソーにとっては一般常識という「不条理」に苦しめられる様子が作品には描かれているのだ。これまでに述べたように、ムルソーと周囲の考え方の違いを強調することにより、作者のカミュは「不条理」な思想を読者に表現しようとしたのだと考える。