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藪の中

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[:contents]

 

Book Profile

Work

筆者: 芥川龍之介 (1892-1927年、東京生まれ)

発行日: 大正11年(1922年)

ページ数: 20ページ

言語: 日本語

Genre

短編小説・推理小説(不完全)

Time and Place

関山から山科あたり – 旅法師が通った場所

関山とは現在の逢坂山。京都府滋賀県の境にあり、古来東国から京への入り口として関所がおかれていた。

 

服装・武器の種類が大正もの。

服装

水干 – 狩衣の一種。民間の常用服。

牟子(女が着ていた) - 市女笠の周囲に、外のすかして見えるような薄物を垂らしたもの。

武器

征矢 - 戦陣に用いる矢。

太刀

どちらも銃などではない。今とはかなり遠い時代。

Subject Matter (内容)

登場人物:
  • 木樵り

死体の発見者。

  • 旅法師

死んだ男と一緒にいた女の目撃者。

  • 放免

多襄丸をからめとった(捕まえた)、検非違使の下役人。

  • 媼(おうな)

娘を探している。死んでいた男は自分の婿(娘の旦那)― 死んだ男の義理の母。

  • 多襄丸(たじょうまる)

男を殺したと白状している。しかし、女は殺していなく、彼女の行方は知らないらしい。紺の水干を着ている。

死んだ男の妻。夫を、小刀で殺した、と言っている。

  • 死んだ男(巫女の口を借りたる死霊)

殺された男。妻の心を盗人に奪われた。妻の「あの人を殺してください。」という言葉に強い憎しみを持つ。逃げた妻を盗人が追っかけていき、一人きりになった後、落ちていた小刀で自分を刺したと言う。

 

あらすじ:

山陰の藪の中に死んでいる男をめぐって、死体発見者、生前の被害者の目撃者、放免、殺された男の妻、妻の母、容疑者と名乗る多襄丸、死んだ男の霊の意見を・言い分など、検非違使の質問によって分かった事がそれぞれの立場から書かれている。

 

注目すべき点:

質問をした検非違使の意見・言い分は一度も作品の中に書かれていない。
結局、だれが男を殺したのかはわからない。誰が嘘の証言をしているのか、それとも全て事実だと言えるのか、最後まではっきりせずに終わっている。

 

表現方法、本の特徴

一人ずつの証言が、それぞれ分かれた章に書かれている。ナレーションがない。

 

Essay: それぞれの証言から人間の世間体を守る本性が現れているのではないか

芥川龍之介作「藪の中」では、男が死んだ事件をめぐって、様々な登場人物が自身が体験した、または見たことを元に一人ずつ証言をしていく。しかし、それぞれの証言を照らし合わせてると、事件の真相に食い違いが出てくる。そこで、誰がどのように違うか、その違いによって本人の世間体へどのように影響があるかを考えようと思う。

この事件には主に、多襄丸、死んだ男、その妻の三人が登場する。多襄丸は名高い盗人であり、女好きということで有名であった。また、以前女を殺したことがあるという経歴もある。死んだ男は、若狭の国府の侍であり、名は金沢の武弘と申す。彼の義母によると、優しい気立てで、遺恨など受けるはずはないそうだ。男の妻は名を真砂と申し、まだ十九歳である。母によると、男に劣らぬくらい勝気だという。他にも、検非違使、木樵や旅法師などの人物も登場する。

多襄丸が言うには、女を自分のものにしようとし、男を藪の中でくくりつけ、そこへ妻を呼んだ。そのまま、多襄丸に奪われた。そして、男は殺したが、女には逃げられたというのである。

しかし、女は自分が夫を殺したのだと証言した。女は夫の目の前で多襄丸のものにされ、二人の男に恥じをさらした後に生きていくのは辛いということで、夫に心中を持ちかけた。しかし、夫を刀で刺した後、自分は気を失い、起きたときには夫は死んでおり、自分を殺す勇気がなかったという。

死んだ男本人が、巫女の声を借りて言うには、自分で自身を殺したという。妻を多襄丸に奪われ、今までに見たこともないほど美しい顔で多襄丸を見つめている妻を見て、妻が逃げていき、多襄丸が縄を解いた後、自分を刀で刺し、殺したという言うのだ。

三人とも、自分が殺した証言しており、結局誰が殺したのかはわからないというのがこの作品の結末である。しかし、多襄丸は自分が男を殺したということで、盗人という身分から、位の高い侍を殺したことになり、素晴らしい快挙であり、自慢ができる。女が、自分の恥を見ていた夫をただ殺そうとしたのではなく、共に心中を図ろうとしたことから、まだ夫への愛があったことが説明できる。男は、欲に目がくらんだ上に、盗人に妻を奪われた挙句、盗人または自身の妻に殺されたとすると見栄がなくなってしまい、死後に周りから笑われてしまうかもしてない、または彼の世間体が奪われてしまうかもしれない。しかし、自殺したことにすることにより、潔さが目立つだけではなく、被害者意識が増し、かわいそうだと思ってもらえる。男は、今まで一番美しい顔をした妻を見たと大げさに表現することで、より同感を求めているようにも思える。

これらのことから、証言には自分の世間体を守ろうとする人間の本性が表されているといえるだろう。

 

Essay: 『羅生門』『藪の中』 映画との比較

羅生門』という映画では、芥川龍之介の『羅生門』と『藪の中』の話が同時進行で語られている。また、映画の最後に、原作の『藪の中』にはなかった証言を元にしたフラッシュバックが挿入されている。

映画の監督が、二つの作品を一つの作品にまとめたのには、どちらの作品も、人間は自分を守るためならなんでもする、という観点において一致しているからだと考える。『羅生門』の作品では、人間は生きていくためには、どのような罪だろうが犯してしまうという本性が下人によって表されていた。また、人間の心はすぐに変わりやすく、怖いという主題も、映画中の下人に何度も繰り返し語られていた。『藪の中』では、事件についての一人ひとりの証言が異なり、どれも自分の見栄を守るために、自分にとって都合の良いように変わっていることから、人は自分のためなら、他人に嘘をつくこともためらわない、ということが表されている。これらの二つの作品をまとめることで、より人間の本性についての様々なアイデアをつなげることができる。

最後の証言に基づくフラッシュバックは、映画監督自身が考えた、本当は何が起こったのだろうかという真相が描かれている。このフラッシュバックでは、多襄丸、男、女の三人全員にとって、立場の悪い、または見栄の悪い結果となっていた。この挿入により、なぜ三人が違う証言をしなくてはいけなかったのか、嘘をつくことによりそれぞれの見栄がどう守られるかが、原作では疑問だったのに対し、映画でははっきりと示されていた。監督自身の考えた事件内容を加えることにより、『藪の中』の作品の捉え方は様々でかまわないということも分かる。

また、作品の映像化の自由に伴い、複数の小さな変化が加えられている。例えば、木樵が藪の中を歩くシーンを長くすることにより、人目につかないところで事件があったこと、女がさげすむ目を向ける夫に対して、何度も「やめて」と連呼する場面からはどれだけ冷たい目で夫が見ていたかなどが表されている。さらに、おうなの登場を削ることで必要のない情報を与えず、視聴者の理解の妨げになるものを省かれていることもわかる。映画の音響効果においては、旅法師が事件現場に近づくにつれて、音がだんだんと高くなり、ついに目の当たりにしたときに、耳に響くようなすごい高い音を長い間流すことにより、視聴者に高まる緊張感を与えている。

このように、いらないものを省き、文章で説明されていたものを映像だけで表すことにより、話をさらに理解しやすくする工夫がされていると感じた。また、二作品からの様々な要素をつなぎ合わせることにより、人間の本性についての見解が広い視点で捉えられている。その他には、映画にしかできない音響効果を加えることにより、ストーリーにさらに緊張を与え、視聴者の興味を引き付けるのに役立っていると思う。