peng'suke

ペンスケ

竹取物語

https://d1hc4zdhstp3wq.cloudfront.net/img/goods/L/200000000291.jpg

 

Book Profile

Work

筆者: 不詳

発行日: 不詳(遅くとも平安時代初期の10世紀半ばまで)

ページ数:

言語: 日本語

Genre

古文 (日本最古の物語)

Time and place

昔の竹取ができるような山がある田舎のような町が設定となっている。

かぐや姫に言い寄ってきた5人はいずれも壬申の乱の功臣で天皇に仕えた人物であることから、奈良時代初期が物語の舞台だったと考えられている。

Subject matter (内容)

登場人物
  • かぐや姫
  • 翁(本名: 讃岐の造)
  • 嫗 ー かぐや姫を育てた
  • 石作の皇子(蓬莱の珠の枝: 東の海に蓬莱という山があるので、その山に銀を根とし、金を茎とし、白い珠を実として立っている木がある。その一枝を折って、持ってきてほしい。)
  • 庫持の皇子
  • 右大巨阿部御主人(火鼠の皮衣)
  • 大納言大伴御行
  • 中納言石上麻呂
  • 御屋戸斉部の秋田(かぐや姫を「なよ竹のかぐや姫」と名づけた;翁に呼び名をつけるのに呼ばれた)
あらすじ

竹取の翁が、いつものように竹を取っていたところ、光っている竹を見つけ、切ってみたら女の子(かぐや姫と名づけられる)を見つけた。それから、嫗がほんの何年間か育てた。かぐや姫はすごい美人な女性へと育ち、町では美女がいると噂された。それを聞き、実際に彼女を一目見ようと、そして求婚しに、家の前に男の人たちが集まった。かぐや姫が何回も断るにつれ、ほとんどの男性が諦め、去っていった。しかし、五人の貴公子は決して諦めなかった。彼らはかぐや姫と結婚する条件として、それぞれある物を探して来いと命令された。ところが、その命令は不可能に近いものであり、五人の貴公子は全員失敗した。都の帝もかぐや姫がこのうえなく美しいという噂を聞きつけ、かぐや姫に求婚してきたが、貴公子たちに難しい条件を与え、挑戦させたのを無駄にするなど恥ずかしいことはしたくない、と断った。しばらく時が経ち、かぐや姫は翁と嫗に実は人間世界のものではなく、月から来たのだと説明する。そしてまもなく、月の者がかぐや姫を迎えに来、人間世界を去っていった。

注目すべき点

なぜかぐや姫は極めて不可能な条件を五人の貴公子に与えたのか

条件がかなり難しい、または無理だと分かったいた。その上で与えたわけは、月へいつか帰らなくてはいけないと理解していたからだろう。月から来てる身として、人間世界の者と結婚するなど許されない。もし、結婚したとしても、つきに帰る日がそう遠くない将来に待っている。そこで、難しい条件を与えると、それを完璧に解けるものは現れない。つまり月の人間だとばれずに、誰とも結婚しない理由を示すのに最適だったのである。

本の影響、本への社会的影響

女性は顔も知らない男性とでも求婚されたら、結婚し、一門を繁栄するのが社会での役目であり、常識だった。翁はこの時代の一般男性をこの考えを持っていて、

 

Essay: 主題について

竹取物語」の作品中では、二種類の愛へのかぐや姫の考えが提示されている。

一つは、「親子愛」である。かぐや姫は翁に見つけられ、オウナに立派な大人へと育ててもらった。その二人に、自分が月の者であると言えずに長い間悩んでいた。その二人を悲しませたくないという思いやりから、かぐや姫には親への愛があるということが分かる。

しかし、親子愛には肯定的だったのに対し、もう一つの「男女愛」へは否定的な考えを持っていると思われる描写がされている。翁は男と女は結ばれ、一門を繁栄すべきだという、当時の時代の特有な考えを持っている。そのため、積極的に求婚を続ける五人の貴公子から一人選び、結婚することをかぐや姫に勧めた。だが、月の者という秘密の理由のため、断る理由を毎回見つけては、拒み続けた。

なぜ月の者は絶対に地球の者とは結婚できない設定なのか。なぜかぐや姫が月の者として設定され、一貫して結婚に否定的な態度を変えない役柄だったのか。それは、筆者自身の思いを作品を通して世に訴えかけるためなのではないかと思う。昔の時代では、身分が高い人は親に決められた、顔を見たこともない人と結婚させられるというのが通常だった。この作品の筆者も、文が書け、作文能力が高い、またこれだけの長い作品を仕上げる時間があったことから、位の高い出で立ちだと思われる。かぐや姫の台詞にもあるように、「顔を見たことがないのに、どうして隙といえましょう。」という疑問、もはやそのような世の中のシステムへの不満がはっきりと描写されている。

これらのことから、「竹取物語」の筆者は自身が抱えている世の中への不満を作品中のかぐや姫を通して主張したかったのだと考える。

 

Essay: 映画との比較

原作のかぐや姫では、「一.かぐや姫の生い立ち」という章で始まるが、わずか2ページで次の章の「二.貴公子たちの求婚」へ進んでしまう。そして、どのように成長したのかという説明には「三ヶ月ぐらいになるころに、一人前の大きさの人になってしまった」という一文しかない。つまり、原作の筆者が、かぐや姫の子供の頃の成長には重要視していないことが明らかである。それに比べ、映画では貴公子たちの求婚のシーンと同じぐらいの長さで、幼少期の成長が描写されていて、そこで育まれたかぐや姫の自然との触れ合いや、友達との複雑な人間関係などが含まれている。

映画では、原作と同様、かぐや姫が普通の人間よりも成長が倍以上という不自然な要素が含まれていたものの、成長のシーンを長く描写することで不自然を軽減していたように思えた。また、自然に成長していると描写するのに、幼虫が成虫に育つという動物の成長だったり、花のつぼみが開いたり、木の花が紅葉するというような植物の成長の挿絵がされている。これにより、自然と共にすくすくと元気に育ったという印象を視聴者に与える効果があったと思う。挿絵は、映画でしかできないことであり、原作を映画化することの長所が見出されていると感じた。このように自然さを出すことで、かぐや姫の超人間的能力があまり目出さずに、視聴者がストーリーを身近に感じ、自分の周りの環境と比べやすくしたのだと考える。

また、かぐや姫が幼少期に良く共に遊んでいた友達の一人、捨丸との関係が描写されている。子供のときは、一緒に歌いながら山を探検したり、畑から果物を盗んだりと子供らしいことを楽しんだ。しかし、かぐや姫が都の宮廷で宴の途中に飛び出し、超人間的能力で昔住んでいた田舎に行ってみたときには、もう捨丸はこの村にはいないと伝えられた。この時点で、二人の間にすれ違いがあるということが描写されていると感じ取れる。最後に、かぐや姫が都で移動していたところ、お店から鶏を盗み、逃げている捨丸を、車の中から見つけた。しかし、格差の違いに気づかされ、ショックを受けた。車が捨丸を通り過ぎた後、店主に見つかった彼は気を失うほどまで叩かれているのを見て、かぐや姫はひどく心を痛めている様子だった。もともとは同じ位の者同士、仲良く遊んでいたのが、かぐや姫がお金持ちになったせいで二人の関係が壊されてしまったという描写から、映画の監督はこの時代の格差社会の問題について重要視し、視聴者に訴えかけ、今の時代と比較してもらいたかったのだと思う。